整形した?って言われたい。





以前書いたブログで話した通り、私は外見に対するコンプレックスが強い。

今回はそのコンプレックスにまつわる話を書きたいと思う。



私は、可愛くない。

すっぴんはお世辞でも可愛いとはいえない。

今でも彼氏ができても彼氏のまえでメイクを落とすことはあってもカラコンを外すことは中々ない。それくらい自分の裸眼ノーメイクの姿が嫌いだ。


カラコンとメイクを覚えた今でこそ何とか誤魔化せていると思うが、生まれながらの素顔は可愛いものではない。


第三者からの評価を気にしすぎる私は、学生の頃の客観的な自分の立ち位置は分からないままだ。その当時は皆がどう思っているか知るのが怖かった。


学生の頃のマウンティングなんてあてにならない。男子は面白いだけで、グループの中心にいるだけで、運動ができるだけでモテたり、もてはやされたりする。

分かりやすくするために私がよく使う "顔面偏差値" とはまた違ったものさしで測ったものである。





田舎で育った私は中学受験なんていうものを知らなかったし、周りも当たり前のように公立の中学に進学した。

そのため中学の生徒達は小学校で一緒だった子たちが大半だったし、幼稚園から一緒だった子もいた。


それぞれの高校を受験し進学した後、東京の大学に進学する友達は少なかった。

地元に残って就職、又は県内の大学に進学する人達が多かった。



無論私は芸能活動をしている最中だったので東京の大学に進学した。東京への憧れも大きかった。「こんな田舎で一生を終えたくない」そんな思いが強かった。以前ブログに書いた通り、人生は劇的だと思いたい気持ちが強かった。



当時事務所に在籍していた私は外見の縛りがあった。染髪してはいけなかったし、ピアスも禁止されていた。学生役が多かったのでそれらから遠いイメージのものは全て禁止されていた。


しかし大学には様々な人種がいた。

私の周りの友達は可愛い子たちばっかりだったし、大学でも私が嫌いなマウントを取りたがる女の子は多数存在した。


私は引け目を感じていた。


当時気になっていた先輩は、仲の良い、特別視しているであろう先輩がいた。

その人はアパレル店員のような見た目だった。綺麗でお洒落をしていて、大学にも気を抜いた姿で来たことを1度も見た事がなかった。


友達の希望で所謂飲みサーに入ったが、私のいるべき場所では無いと感じてた。

ピアスが空いていない人を見た事がないし、大半の人が染髪していた。



馴染みたいと、思ったわけではないと思う。


気になっていた先輩に振り向いて欲しかったわけでもないと思う。



純粋に彼らを羨ましいと思っていたんだと思う。

着たいような服をきて、自分をどう魅せたら一番魅力的に見えるかを把握している彼らが羨ましかったんだと思う。



芝居に挫折感をおぼえていた私は事務所をやめ、生きたいように大学生活を過ごそうと決めた。


それからは自分が目指す 可愛い に近付こうと努力した。

「垢抜ける メイク」でGoogle検索したこともあるし、今までディファインしか使用してなかったカラーコンタクトも自分にあったものを探すようになった。可愛いと思ったモデルが出てる雑誌は買い漁ったし、SEVENTEENやnon-no等の、役者を目指していた頃憧れていたモデルたちが出ている雑誌を購読するのはやめた。素材が元々良い人たちとは頑張る方向がまるで違う。

メイクやカラコンで可愛いを作っている人たちの雑誌を購読するようになった。




そして大学2年の春。新歓の期間のこと。今でも覚えてる嬉しい出来事が起きた。

恋心こそ抱いていなかったが、憧れていた先輩が私をみて「可愛い」と言ったのである。

人伝に聞いたのか、たまたま先輩の声が聞こえたのか記憶が定かではないが、確かに、あの先輩が、可愛いと、言ったのだ。私に向かって。新入生の頃、カッコいいと伝えても嬉しそうにもしていなかった、"あの先輩" が、だ。

自分が新入生の頃、新歓などで少し交流はあったがその後の学生生活ではあまり関わりがなく、久しぶりの事だった。

その後挨拶などを交わすようになり、私があのときの"新入生"だと伝え、先輩の記憶の中で人物が一致したのだ。つまりその時まで先輩のなかで、新入生と大学2年の私は同一人物ではなかったのだ。


嬉しかった。

自分の努力が目に見える結果で実ったのだ。

私は垢抜け、芋臭い "新入生" ではなくなったのだ。




その後、自分の変化を目に見えて感じる出来事がたくさん起きる。

クラブにいけばナンパされるのは当たり前だし、いいなと思った店員とも連絡先を交換するのは容易いし、何より入学当初、想いを寄せていた先輩と近しい仲になった。


「垢抜けたよね」


先輩と一緒によく遊んでいた先輩の友達が私に向けてそう言った。それに先輩も同調していた。



こんな、簡単なものなのかと思った。

喜ばしいと思うべきなんだろうが、何故かそのとき私は喪失感をおぼえた。同時に先輩への恋心も手放した。




これは私が、『東京で暮らす今どきの女の子』になるための努力であり、役者を目指しているときもその時なりの努力はしていた。




私は幼少期から音楽が好きだったし、ハモネプでシンクロシンプトンズをみてからはアカペラが大好きになった。高校の頃はわざわざ遠征してまで東京にライブを見にいった。

一緒にライブを観る人なんかいるわけはなく、シックスセンスのライブでよく見かける同年代の子達に声をかけ一緒にみるようになった。


私はライブ後演者に積極的に声をかけるタイプだったと思う。

私は演じ手のパフォーマンスがどれだけ好きか伝えたかった。


何を思ってアカペラーの人たちが私と親しくしてくれるようになったかは分からない。

某イベント代表が言うみたいには思わなかった。私は演者の事を特別だと思った事も有名人だと思ったこともない。プロでもなければ事務所に在籍をしてるわけでもない彼らは大学生に過ぎなかったし、彼らの音楽が好きなだけだった。


アカペラーが仲良くしてくれるようになり、打ち上げ等に呼ばれるようになり、一番初めに仲良くし始めた子達と距離ができた。


仲良いアカペラーが私にこう言った。

「まきはリスナーって言うより、まきだから(笑)」

私はこれが普通に嬉しかったし、アカペラーを崇めることもなかったからこそ、ただの友達になれたのだと思う。


仲良くしていたリスナーの子達はそれから事あるごとに「まっきーは可愛いからいいよね」と言うようになった。


またこれか、と思った。

女の子独特の、この感じ。

自分と同じような子とつるみ、仲間内の均衡を崩す様な子を排除する、この感じ。





以前母の友達の娘が、高校の頃ダイエットしてモデル体型になった。

その子は元々可愛かったし、さらに可愛くなって他校のイケメンと付き合ってた。

「○○は可愛いから良いよね。」と友達に言われた事を帰ってきて母親に愚痴をこぼしてたという。

私は努力して頑張ったからこうなったのに、なにも努力していない人たちに嫌味を言われる筋合いはない、と。



その子の努力に比べたら大袈裟かもしれないが、あの子はあの時こんな気持ちだったんだなぁ、と感じた。


私も言いたかった。

じゃあアンタらは何したの?努力した?私がどんな学生生活送ってきたか知ってる?アンタら自身がアカペラーを崇めて勝手に距離作ってたんじゃないの?そもそもアンタらのゴールは何なの?なにが目標だったの?好かれたかった?仲良くなりたかった?











芸能活動をしている事はやめた高校の人たちだけでなく中学の頃の友達の耳にも届いていた。


わたしが退学したあとの高校では、私をテレビの中で見かけたことにより色んな噂が飛び交っていたみたいだが、一番おもしろかったのは『整形したらしいよ』である。

同じクラスのマウントトップにいた女の子が言っていたらしい。


他にも中学の頃の友達と、大学の夏休みに地元でBBQをしたときの事。

幼稚園から中学まで一緒で、母親同士が仲が良い男友達が、可愛くなったね、と女子同士で会話している中に入り言ってきた。「おまえ絶対鼻整形しただろ(笑)」


私は人から鼻を褒められることが多い。強いていえば父親似の鼻だが、私の父も私ほど鼻は高くない。



本当に面白かった。

可愛いと評価される前までは誰も私の鼻についてなんか着目したことが無かったであろうに。



人はこんなに他人が成功することを疎む生き物なんだと実感した。





男のなかにはどんなに「性格悪そう」など悪く言っていても、その子が可愛ければ、自分に良くしてくれたり、好意をみせたりすれば手のひらを返すような奴もいるし、

女はなにより足の引っ張り合いが好きな生き物である。



私の喉から手が出るほど欲しがっていた他人からの評価はこんなものだったのだ。

取るに足らないものだったのだ。


私は胸を張って生きるには自分が自分のことを好きにならなければならないのだ。

自己愛ではなく、自己受容できるようにならなければならないのだ。


他人からの評価は、あくまでそれの副産物でいいのだ。




好きなものを着て、自分が好きだと思える自分を表現し、好きなように生きていく。


真っ黒なネイルをして、「それ男ウケ悪いよ」と言われても「お前のためにやってるんじゃないから」と一蹴りできるようなカッコいい女性になりたい。



整形だってそうだ。

皆が羨むエマ・ワトソンだって整形してる。


そもそも何で整形は批判されるんだろう。

そのまま陰険なブスでいたままだって君たちは批判するくせに。批判された苦い思い出から整形した子だっているだろうに。


ダイエットと整形は同じだ。

その人なりの努力だ。


親からもらった身体に傷を付ける、なんて言い方で批評するオバサン、オジサンも多々いるが、じゃあその人は自分に自信が持てないまま俯いて生きていた方が幸せなのだろうか。


ダイエットの成功者ばかり賞賛されるが、整形はどうなんだろう。

失敗やオペの恐怖をのりこえて生まれ変わったのは努力とは違うのだろうか。その1歩、踏み出した勇気は批判されていいのだろうか。

整形にかかる費用を貯めたのは、その人の可愛くなりたいと思う気持ちの強さじゃないんだろうか。ダイエットを成功させた人と何が違うっていうのだろうか。





自分は何も努力することなく、評論家きどりで批判ばっかりする奴はそのままそこでくすぶっていてくれ。


努力すらしてないやつに他人を羨む権利すらない。可愛いから良いよね、なんて言われる筋合いない。私は芋ブスだったよ、アンタらより努力したよ。



私は喜んで整形した?って言われたい。

私は他人のために可愛くなるわけじゃないから。





背景、あの頃の君たちへ。





リストカットとは、カッターナイフなどの刃物を用いて主に前腕を傷つける自傷行為をいう[1]。略してリスカと言われることがあり、若年層の間でこの表現が用いられる。(Wikipedia参照)



リストカットって何でするんだろう。

した事ない人にとっては不気味以外の何者でもないと思うし、たまに脂肪が丸見えするほどパックリ切ってる人をみるけどアレはわたしから見てもゾッとする。


「かまってちゃん」「ファッションメンヘラ」、所謂一般人はそうやって咎める事が多いけど自分自身を傷付けた事が無い人に何が分かるんだろう。冷たい刃物を自分の腕にあてる、あのひんやりとした感覚を知らない人に何が分かるんだろう。



カッターやカミソリ、色んなものを使うひとがいるけど学生時代は小刀を使ってた。

ストレスなのか悲しみなのか分からないけど、感情の許容量はとっくに越えてて、今にも溢れ出しそうで、一度溢れたらもう止められそうになかった。自分でも感情をどうコントロールしたらいいかわからず、机の上にあった小刀を手に取って腕にあてた。

どんだけ力をこめても押すだけじゃ腕は切れずに、自分で引かなければならなかった。自分で押し当てながら動かす。自分で自分に何をしてるんだろうと、自分でも思っていたよ。





初めてリストカットをする人をみたのは中学の頃だった。中学の頃の親友だった。

母親と衝突する事が多かったみたいで母親の事を毛嫌いしてたし、複雑な子だった。よく悩みを聞いてくれたし、明るくて優しくて私はその子が好きだった。何に思い詰めてたのかは分からない。

好きとか嫌いとか、嫌だとかストレスだとか、答えてくれてるようであまり多くは語ってくれない子だった。どうしてあげることもできなかった。


でもきっとその子も私と同じような子だったんだと思う。




高校を不登校になってから当然だけど親からは質問の嵐だった。「どうしたの?」「なにがあったの?」答えたかったけど、言葉は喉でつっかえて出てきてくれなかった。初めての一文字を発声できれば答えられるであろうに、どうしても出てこなかった。言葉よりも先に口を開いたら涙が出てきそうだった。

大事な事を話すときはいまでもそうだ。大事な言葉ばかり喉でつっかえて出てきてくれない。


あの子もきっとそうだったんだろうと思う。

話したくても話せなくて、伝えたくても伝えられないだけで、分かってほしいと願っていたと思う。



人は無意識の悪意で満ちてる。

あの頃私は目に映る人みんな敵に見えたし、駅なんかは怖くて歩けなかった。

主犯と同じグループにいる奴らも、そいつらと友達の奴らもみんな怖かった。



私の拠り所は音楽と小刀だけだった。

全然意味分からないと思うけど小刀は私にとってお守りだった。



不登校になっても連絡をとってる友達はいた。

高校でいちばん仲良かった子だ。

ある日その子からメールがきた。『もうお前のことで職員室呼び出されんのしんどい』

きっと私の事を先生たちが聞いて回ってたんだろう。主犯たちは後ろめたかっただろうし、友達が教室にもどってくるたび質問攻めしただろう。どんな質問をされて、どんな返事をして、自分の事は喋ったか。そんな背景は容易に想像できたし、高校に残ってる友達の立場を考えたら仕方ないことだと思う。それでも1番仲が良いと思ってた友達からの その 言葉は16歳の私にとっては酷だった。



いじめが起きてからは心臓は鉛のように重くて、私はベッドから起き上がれなかった。自分の部屋の壁だけが私を外界から守ってくれた。


もう何をしてても哀しかった、何をしてても苦しかった。学生の頃の私にとってはちっぽけな校舎のなかだけの世界が全てで、地元にはちゃんと友達だっているのに、それでも独りぼっちで味方のいない真っ暗な闇に沈んだ気分だった。


深呼吸しようと深く息を吸いこむだけで涙が出たし、目を瞑っても、空を見上げても、音楽を聴いても泣けた。息をするように涙が出た。




その頃テレビだかネットだかで、涙の成分は血液と一緒だと目にして妙に納得した。

涙腺内の毛細血管から得た血液の血球を除き、液体成分のみを取り出したものが涙である。




私はずっと血を流していたんだ。

心に傷を与えられて、ちゃんと目に見えるように泣いていたんだ。痛いとちゃんと感じていたんだ。


家に引きこもってるとき、映画をみて、久しぶりに自分以外の事で泣いた。

「あの人たちもこんな映画をみて同じように感動するんだろうか」



冷たいものを触って冷たいだとか、

丸いものをみて、丸いだとか、

そんなロールプレイングゲームの選択肢のような感情で生きてる人たちには目に見えないと分からないんだろうなと悟った。

血を流さなければ痛がってるとは予想できない、きっと一生分かり合えない人種なんだろう、と。


明け方の空の青の深さに泣くことも、人混みを歩くと世界がひっくり返ったように目眩がすることも、第三者の視線に耳鳴りがすることも一生ないまま過ごしていく人たちなんだ。


お望み通り、うんと痛がってあげよう。

涙じゃなくちゃんと血を流してあげよう、君たちにもちゃんとみえるように。

どれだけ傷付けられたかちゃんと刻もう。


自分で傷をつけて身体的痛みで心の痛みを誤魔化すことの悲しさをアンタらは一生わからないと思うけど。




背景、あの頃の君たちへ。


いかがお過ごしですか。その後の高校生活は楽しかったですか。罪悪感はもう消えてなくなりましたか。

高校をやめて芸能活動を始めて、ゴールデンタイムの再現VTRに出てる私をみたときはどんな気持ちでしたか。そんな私に連絡先を聞いてきたときは、どんな感情でしたか。一緒になって悪口を書いてたことを私は知っていました。

どんな気持ちでしたか。

夜、家族が寝静まった後に、どこで間違ったんだろうと、どうしてちゃんとした母親になれなかったんだろうと胃を痛めて嗚咽する母の気持ちを、それを聞いてゴメンなさいと謝りながら部屋でやっぱり泣き続ける私の気持ちを、1ミリでも理解できるような感受性は育ちましたか。

今でも分からないままだけど、あなた達も例えば『最強のふたり』なんかをみて泣くことはありますか。



あなた達のおかけで当初とはきっと違う人生を歩んでいます。あなた達のおかげで今は胸を張って好きだと言える友達ばかりできました。

あのまま歩んでいくより、可愛くなったと思うし、田舎臭いままのあなた達をみてざまぁみろって思ってます。


どうかそのまま私よりも平凡で、つまらない、不幸せな人生を送ってください。


どうか幸せにはならないでください。







生徒役A、通行人B






最近の私はというものの少女漫画を読んで自己哲学をこじらせまくっている。

しかもりぼんなどに連載されている、恐らく小学生向けの漫画に。(お前ヒマなんか?)



漫画を読んでいて1番気になっていた点は、ヒロインに競り負けた恋敵役のその子は結局べつの人と結ばれる事が多いけど、果てしてそれは本当の恋なの?ってこと。


まぁ少女漫画にそんな一喜一憂させられててもしょうがないんだけど。(なんせヒマだから)





恋愛に大きく分けて2つに分類されると思う。

一目惚れなどで始まるような瞬間的な恋愛と、友達からスタートするスロースタートな恋愛。


恋に落ちるのは一瞬ってよく言うけど、一目惚れや、「あ、好きだな」ってときめくようなものは瞬間的なものに分類しておこう。

こういう恋愛はどきどきしたり、片思いのとき一喜一憂したり、絵に書いたような恋愛だと思う。誰もが経験したことありそうなんでこれの説明は端折ります。伝えたいことは察してくれ。




そして2つめのスロースタートな恋愛。


私はこれを経験したことがないし、今後出来そうにもなくて怖くて震えてる。

何故なら結婚に踏み切る場合こちらのケースが多いと思うから。



意識してなかった異性から告白されて付き合う、というものを経験した事がない。

昔からそういう気はあったのだが、水商売を経験してからというもの自分が気が無いひとから好意を向けられるという事が凄く気持ち悪い事だと気付いてしまった。


というものの少女漫画のように一途に思われ、自分の事は二の次でピンチの時に助けてくれる!なんてシーンがあればまた違うかもしれないが、現実の好きなんてそんなロマンチックなもんじゃない。


同年代の男の頭の中といえば、セックスセックスセックス!歩くちんこのようだ。

プラトニックに想われたことは少ないが、下心丸出しの好意を向けられる事はもはや特技である。

愛人顔だよね、とたまに言われるがその通り。オジサンから好かれるのは得意だ。

オジサンがいう「年上のほうがあってるんじゃない?」という言葉は(俺とか)っていう含みが持たされてて本当に気持ちが悪い。


私は雄っぽさが感じられる人が本当に苦手で、思春期の頃なんかは男の人の脇毛ですら苦手だった。今でも引きずっていて、だからなるべく雄っぽさがない人が好き。

顔はそのせいで、そういう雰囲気になっても雄みが感じられない中性的な顔が好きだし、自分がモテるゾーン、EXILEタイプは恋愛対象にならないままだ。


自分が相手に恋愛スイッチが入ってないまま好意を感じ取ってしまうと、あ、この人は私にそんなこと思っているんだ。と壁ができてしまう。

上記の理由から私はいわゆるストライクゾーンが狭いし、告白されてから育む恋愛ができない。しかしこれは大きなハンデである。


自分の片思いから始まって成就する恋愛の打率なんてたかが知れてる。


嫌みでも何でもなく素直に、付き合ってから相手のことを好きになれる人はすごいと思う。その気持ちを知らない私からは、そういう人たちが本当に相手のことを好きになっているのか本当に疑問である。



漫画の中のスポットライトがあたっている恋愛はいつもキラキラしてる。


ヒロインは健気で一途で、途中失恋しても折れることなく踏ん張ってその場に留まり続ける。そんな姿に性格の良いイケメンは気付き、心動かされ、という王道ストーリー。


どちらも混じりっけのない綺麗な心同士だから成し得る恋愛だと思う。


その道中出てくる恋敵の芹奈ちゃん(仮)も結局のところ友達の脇役の良さに気付き、めでたくそこに収まる。


みんなちゃんと自分の居場所をみつけて、ちゃんと自分に合った恋愛をしてる。ちゃんと自分のことを理解し、ちゃんと収まるべきところに収まっている。


それが出来ないのが私だ。


王道イケメンに恋をし、ヒロインに勝てるわけなく、かといって友達からの好意には応えられず、相手がいないままでおわる。


恋敵役になることすらできず、名前すら付けてもらえなかったその他生徒役A。通行人B。眩しい物語を紡いでいく人たちの端の端。





結婚できるかな?!?!?!?!?!?!(号泣)




自己愛と、ブスに厳しいお話。





最初に注意書きをしておくけど、なんともいえない厨二病感とオナニーのような文章である。自分でも引いてるから、安心して引いてほしい。





私は、自尊心が人一倍つよい、と思う。


私は、傷付きたくない。

私は、自分が抱く感情のなかで『恥ずかしい』という感情が1番嫌いだし、苦手だ。


高校を1年の夏に中退しているので私の学生生活は他の人より短いが、その短い学生生活の中で1番苦手だったのは授業中よく目にする先生に質問をあてられる、あの瞬間だった。



小学校、中学校と私は成績が良いほうだった。

小学校の頃は公文式をやっていたから言わずもがな勉強はできたし、中学にはいっても数学と英語を塾で学んでいたので3教科の成績は学年でいつも5番以内には入っていた。


だから授業中先生に質問をあてられてもすんなり答えていた。それでも、数学の授業で黒板に解答を書きにいかなきゃならないときは友達と答え合わせをしてからむかっていた。







人前で間違うのが嫌いだ。





小学校の先生が「分からないから学校で学んでいる、だから間違うのは当たり前」と教えを説いていたが、私からするとそんなものは詭弁で、知ったこっちゃねぇ、嫌なもんは嫌なんだ、だった。





決定的に勉強、特に数学を嫌いになったのは高校の時だった。


担任が数学の先生で、それはまぁ絵に書いたような生徒から嫌われる厳しい先生だった。



その先生はいつも授業中、ストップウォッチを使って質問する生徒を決めていた。


私の出席番号は18番だった。



ストップウォッチを使うなら頭を使えばいいものの、その先生はいつも馬鹿の一つ覚えみたいに同じタイミングでストップウォッチを押していた。


そのせいで大体あてられるのは私だった。

このときから私は数学が嫌いになった。


高校に入ってから自主学習することも、塾に通う事もなくなっていたので得意科目ではなくなっていたし、皆の前で間違うのが何より嫌だった私は決まって「分からない」と答えるようになっていた。


きっと合っているであろう答えが導きだせていても、間違うよりは分からないと答えたほうがマシに思えていた。




自尊心と自己愛が強く、自己承認欲求が人一倍つよい。

自己愛性人格障害なんじゃないかとすら思ってた。

(ちなみに私はボーダーです|•'-'•)و✧)

(※境界性パーソナリティ障害)






小さな頃の夢はキューティーハニーだか、セーラームーンだったと思う。


お花屋さんにもなりたかったし、パティシエにもなりたかった。


そのなかでも1番なりたかったのは歌手だった。(というかモーニング娘。になりたかった。)そんなものが叶いっこないというのは小学校ぐらいで悟った。


次になりたいと切望したのは役者だった。芸能人になりたいわけじゃなかった、モデルにはちっとも興味がなかったし、ドラマの影響を受けて将来の夢がころころ変わり、ある日気付いた。あーぜんぶになりたかったんだなーって。



中学くらいからその思いは現実味をおびてきて、オーディションを受けたいと親に願うようになったが勿論そんなもの受け入れてはもらえなかった。


高校をイジメで中退し、親に初めて反発するようになってから親は私のやりたいことを尊重してくれるようになった。


高校を中退後、大手事務所のオーディションを受けた。無論、結果は惨敗だった。

そんなことは目に見えていた。

中学生くらいでほんとは気付いていたのだ。


SEVENTEENという雑誌を中学に入って買うようになり、世の中にはこんなに可愛い子がいたんだと衝撃を受けた事も覚えているし、同年代でテレビに出ているような子は子役から活躍しているような子達ばかりだった。






私の自己承認欲求が強まったのは思春期の影響が大きい。


ママ友の子どもで漫画に出てくるような才色兼備の子がいた。

バスケが出来て、勉強もできて、可愛くて、なによりモテた3つ上の女の子。

私にも優しくしてくれて、みんなで遊ぶときも平等に気を配るような優しいお姉さんだったし、私はそのお姉ちゃんが大好きだった。





褒められるのはいつもその子だったと私は記憶している。


そのお姉ちゃんのことは大好きだったけど、それでも素直にずるいなぁ、と思っていた。

私の母もいつもその子を褒めていた。

私もお母さんに褒められたいなぁ、と思っていた。


いつもスポットライトがあたっているのはその子だった。



学生生活でよくある、学年で1番可愛い子は誰か論争。

いつも私ではなかった。

そんなのは当たり前だった。私は休み時間になるとドッヂボールに積極的に走いっていくような子だったし、実行委員も積極的にやったし、男子が嫌うような小言を言うタイプだった。


中学で好きな人が出来て、その人の彼女は小学校の頃親友だった1つ上の先輩だったし、高校でもそれは同じだった、好きな人には彼女がいて、私の片思いはいつも実らなかった。



私は、1番認めて欲しい人たちに認めてもらうことはなかった。





そんななかで歳を重ねるにつれ、モーニング娘。に憧れていたようなキラキラした世界からモノクロの現実に気付かされるようになった。




「わたしは特別じゃない。」





何を言ってるんだ、と思うだろう。

でも私は物語の主人公で居たかったのだ。

特別だと思いたかったのだ。

人生は劇的だと思いたかった。




自己評価に対して厳しい、と友達によくいわれるが思春期のこれらの記憶が起因していると思う。


大手のオーディションに受かるほど私は可愛くもないし、透明感もない。


薄いメイクのほうが男ウケなんていいことは百も承知である。

そんなものはコンプレックスからきてるんだから厚塗りだろうがほっといてくれ、といつも思う。お前らのためにメイクをしているわけじゃないんだ、と。




素顔で可愛い子に私は一生勝てない。





私の中で  『 可愛い 』  ということは絶対的なものさしになった。




少しずつ、少しずつ、蝕まれていく自信と私の夢。



望んでいた事務所ではなかったけど、そこそこの事務所には入れた。そこでもやっぱり壁に阻まれる。

お芝居は純粋に好きだった。ドラマをみて、あんな風に泣きじゃくりたいとか、本音をぶちまけたいとかそんな気持ちはたくさん抱えていたし、自分じゃない誰かとしてそういう事ができるのは夢のようだった。だから負の感情のお芝居は得意だった。


事務所のプロデューサーが言っていた。「泣かせるのはみんなできる、難しいのは笑わせる事。」

まさにこれに突き当たる。

コメディの芝居が苦手だった、

正の感情のときはどうしても自信の無さから周りの目が気になり、自分と役を切り離せなかった。

無論何度も克服しようとしてみた。1人の時は負の時同様にできるのに。私は二つ目の夢を諦めた。






私は精一杯着飾るしかないし、自信がないことを悟られないように毒を吐き続ける。


前記のように私は恥ずかしい思いをするのがこの上なく嫌なので、会話の中でイジられるポジションに回るのは絶対嫌。

言わないだけで、イジられて笑いをとってる人達の器の大きさには感服する。

だからそちら側にまわらないように強がり続けるしかない。



イジメられてた過去があるから痛いほど思う。搾取される側にはまわりたくないし、虐げられる側にはまわりたくない、これから先は、願わくば一生。







私は傷付きたくない、自分がどうしようもなくかわいいから、自己愛が強いから。

と、同時に自分が大嫌いだ。もっと可愛く生まれてきたら世界は違ったかもしれない。


漫画のヒロインになれたかもしれない。

ドラマの主人公になれたかもしれない。

私の世界はキラキラ輝き続けていたかもしれない。



自身の理想に追いつかない自分が憎くて、悔しくて、大嫌い。

でもやっぱり自分の事はかわいくて仕方なくて傷付きたくない。



私が悩んでいるのにどう考えても私よりブスが妙な自信をもっていると無性に腹が立つし、そんな開放的になれる事への羨ましさもある。


自分の絶対的な可愛さというものさしのエゴと、ただの八つ当たり。



それでも苦しんで形成された私のアイデンティティだから、そんなくだらない自己愛すらも愛おしくて。


だからこれからも精一杯虚勢はって、「 強く、気高く、美しく 」



いつか嘘がホントになる日を夢みて、

いつか自分を好きになれるその日まで。