自己愛と、ブスに厳しいお話。





最初に注意書きをしておくけど、なんともいえない厨二病感とオナニーのような文章である。自分でも引いてるから、安心して引いてほしい。





私は、自尊心が人一倍つよい、と思う。


私は、傷付きたくない。

私は、自分が抱く感情のなかで『恥ずかしい』という感情が1番嫌いだし、苦手だ。


高校を1年の夏に中退しているので私の学生生活は他の人より短いが、その短い学生生活の中で1番苦手だったのは授業中よく目にする先生に質問をあてられる、あの瞬間だった。



小学校、中学校と私は成績が良いほうだった。

小学校の頃は公文式をやっていたから言わずもがな勉強はできたし、中学にはいっても数学と英語を塾で学んでいたので3教科の成績は学年でいつも5番以内には入っていた。


だから授業中先生に質問をあてられてもすんなり答えていた。それでも、数学の授業で黒板に解答を書きにいかなきゃならないときは友達と答え合わせをしてからむかっていた。







人前で間違うのが嫌いだ。





小学校の先生が「分からないから学校で学んでいる、だから間違うのは当たり前」と教えを説いていたが、私からするとそんなものは詭弁で、知ったこっちゃねぇ、嫌なもんは嫌なんだ、だった。





決定的に勉強、特に数学を嫌いになったのは高校の時だった。


担任が数学の先生で、それはまぁ絵に書いたような生徒から嫌われる厳しい先生だった。



その先生はいつも授業中、ストップウォッチを使って質問する生徒を決めていた。


私の出席番号は18番だった。



ストップウォッチを使うなら頭を使えばいいものの、その先生はいつも馬鹿の一つ覚えみたいに同じタイミングでストップウォッチを押していた。


そのせいで大体あてられるのは私だった。

このときから私は数学が嫌いになった。


高校に入ってから自主学習することも、塾に通う事もなくなっていたので得意科目ではなくなっていたし、皆の前で間違うのが何より嫌だった私は決まって「分からない」と答えるようになっていた。


きっと合っているであろう答えが導きだせていても、間違うよりは分からないと答えたほうがマシに思えていた。




自尊心と自己愛が強く、自己承認欲求が人一倍つよい。

自己愛性人格障害なんじゃないかとすら思ってた。

(ちなみに私はボーダーです|•'-'•)و✧)

(※境界性パーソナリティ障害)






小さな頃の夢はキューティーハニーだか、セーラームーンだったと思う。


お花屋さんにもなりたかったし、パティシエにもなりたかった。


そのなかでも1番なりたかったのは歌手だった。(というかモーニング娘。になりたかった。)そんなものが叶いっこないというのは小学校ぐらいで悟った。


次になりたいと切望したのは役者だった。芸能人になりたいわけじゃなかった、モデルにはちっとも興味がなかったし、ドラマの影響を受けて将来の夢がころころ変わり、ある日気付いた。あーぜんぶになりたかったんだなーって。



中学くらいからその思いは現実味をおびてきて、オーディションを受けたいと親に願うようになったが勿論そんなもの受け入れてはもらえなかった。


高校をイジメで中退し、親に初めて反発するようになってから親は私のやりたいことを尊重してくれるようになった。


高校を中退後、大手事務所のオーディションを受けた。無論、結果は惨敗だった。

そんなことは目に見えていた。

中学生くらいでほんとは気付いていたのだ。


SEVENTEENという雑誌を中学に入って買うようになり、世の中にはこんなに可愛い子がいたんだと衝撃を受けた事も覚えているし、同年代でテレビに出ているような子は子役から活躍しているような子達ばかりだった。






私の自己承認欲求が強まったのは思春期の影響が大きい。


ママ友の子どもで漫画に出てくるような才色兼備の子がいた。

バスケが出来て、勉強もできて、可愛くて、なによりモテた3つ上の女の子。

私にも優しくしてくれて、みんなで遊ぶときも平等に気を配るような優しいお姉さんだったし、私はそのお姉ちゃんが大好きだった。





褒められるのはいつもその子だったと私は記憶している。


そのお姉ちゃんのことは大好きだったけど、それでも素直にずるいなぁ、と思っていた。

私の母もいつもその子を褒めていた。

私もお母さんに褒められたいなぁ、と思っていた。


いつもスポットライトがあたっているのはその子だった。



学生生活でよくある、学年で1番可愛い子は誰か論争。

いつも私ではなかった。

そんなのは当たり前だった。私は休み時間になるとドッヂボールに積極的に走いっていくような子だったし、実行委員も積極的にやったし、男子が嫌うような小言を言うタイプだった。


中学で好きな人が出来て、その人の彼女は小学校の頃親友だった1つ上の先輩だったし、高校でもそれは同じだった、好きな人には彼女がいて、私の片思いはいつも実らなかった。



私は、1番認めて欲しい人たちに認めてもらうことはなかった。





そんななかで歳を重ねるにつれ、モーニング娘。に憧れていたようなキラキラした世界からモノクロの現実に気付かされるようになった。




「わたしは特別じゃない。」





何を言ってるんだ、と思うだろう。

でも私は物語の主人公で居たかったのだ。

特別だと思いたかったのだ。

人生は劇的だと思いたかった。




自己評価に対して厳しい、と友達によくいわれるが思春期のこれらの記憶が起因していると思う。


大手のオーディションに受かるほど私は可愛くもないし、透明感もない。


薄いメイクのほうが男ウケなんていいことは百も承知である。

そんなものはコンプレックスからきてるんだから厚塗りだろうがほっといてくれ、といつも思う。お前らのためにメイクをしているわけじゃないんだ、と。




素顔で可愛い子に私は一生勝てない。





私の中で  『 可愛い 』  ということは絶対的なものさしになった。




少しずつ、少しずつ、蝕まれていく自信と私の夢。



望んでいた事務所ではなかったけど、そこそこの事務所には入れた。そこでもやっぱり壁に阻まれる。

お芝居は純粋に好きだった。ドラマをみて、あんな風に泣きじゃくりたいとか、本音をぶちまけたいとかそんな気持ちはたくさん抱えていたし、自分じゃない誰かとしてそういう事ができるのは夢のようだった。だから負の感情のお芝居は得意だった。


事務所のプロデューサーが言っていた。「泣かせるのはみんなできる、難しいのは笑わせる事。」

まさにこれに突き当たる。

コメディの芝居が苦手だった、

正の感情のときはどうしても自信の無さから周りの目が気になり、自分と役を切り離せなかった。

無論何度も克服しようとしてみた。1人の時は負の時同様にできるのに。私は二つ目の夢を諦めた。






私は精一杯着飾るしかないし、自信がないことを悟られないように毒を吐き続ける。


前記のように私は恥ずかしい思いをするのがこの上なく嫌なので、会話の中でイジられるポジションに回るのは絶対嫌。

言わないだけで、イジられて笑いをとってる人達の器の大きさには感服する。

だからそちら側にまわらないように強がり続けるしかない。



イジメられてた過去があるから痛いほど思う。搾取される側にはまわりたくないし、虐げられる側にはまわりたくない、これから先は、願わくば一生。







私は傷付きたくない、自分がどうしようもなくかわいいから、自己愛が強いから。

と、同時に自分が大嫌いだ。もっと可愛く生まれてきたら世界は違ったかもしれない。


漫画のヒロインになれたかもしれない。

ドラマの主人公になれたかもしれない。

私の世界はキラキラ輝き続けていたかもしれない。



自身の理想に追いつかない自分が憎くて、悔しくて、大嫌い。

でもやっぱり自分の事はかわいくて仕方なくて傷付きたくない。



私が悩んでいるのにどう考えても私よりブスが妙な自信をもっていると無性に腹が立つし、そんな開放的になれる事への羨ましさもある。


自分の絶対的な可愛さというものさしのエゴと、ただの八つ当たり。



それでも苦しんで形成された私のアイデンティティだから、そんなくだらない自己愛すらも愛おしくて。


だからこれからも精一杯虚勢はって、「 強く、気高く、美しく 」



いつか嘘がホントになる日を夢みて、

いつか自分を好きになれるその日まで。