整形した?って言われたい。





以前書いたブログで話した通り、私は外見に対するコンプレックスが強い。

今回はそのコンプレックスにまつわる話を書きたいと思う。



私は、可愛くない。

すっぴんはお世辞でも可愛いとはいえない。

今でも彼氏ができても彼氏のまえでメイクを落とすことはあってもカラコンを外すことは中々ない。それくらい自分の裸眼ノーメイクの姿が嫌いだ。


カラコンとメイクを覚えた今でこそ何とか誤魔化せていると思うが、生まれながらの素顔は可愛いものではない。


第三者からの評価を気にしすぎる私は、学生の頃の客観的な自分の立ち位置は分からないままだ。その当時は皆がどう思っているか知るのが怖かった。


学生の頃のマウンティングなんてあてにならない。男子は面白いだけで、グループの中心にいるだけで、運動ができるだけでモテたり、もてはやされたりする。

分かりやすくするために私がよく使う "顔面偏差値" とはまた違ったものさしで測ったものである。





田舎で育った私は中学受験なんていうものを知らなかったし、周りも当たり前のように公立の中学に進学した。

そのため中学の生徒達は小学校で一緒だった子たちが大半だったし、幼稚園から一緒だった子もいた。


それぞれの高校を受験し進学した後、東京の大学に進学する友達は少なかった。

地元に残って就職、又は県内の大学に進学する人達が多かった。



無論私は芸能活動をしている最中だったので東京の大学に進学した。東京への憧れも大きかった。「こんな田舎で一生を終えたくない」そんな思いが強かった。以前ブログに書いた通り、人生は劇的だと思いたい気持ちが強かった。



当時事務所に在籍していた私は外見の縛りがあった。染髪してはいけなかったし、ピアスも禁止されていた。学生役が多かったのでそれらから遠いイメージのものは全て禁止されていた。


しかし大学には様々な人種がいた。

私の周りの友達は可愛い子たちばっかりだったし、大学でも私が嫌いなマウントを取りたがる女の子は多数存在した。


私は引け目を感じていた。


当時気になっていた先輩は、仲の良い、特別視しているであろう先輩がいた。

その人はアパレル店員のような見た目だった。綺麗でお洒落をしていて、大学にも気を抜いた姿で来たことを1度も見た事がなかった。


友達の希望で所謂飲みサーに入ったが、私のいるべき場所では無いと感じてた。

ピアスが空いていない人を見た事がないし、大半の人が染髪していた。



馴染みたいと、思ったわけではないと思う。


気になっていた先輩に振り向いて欲しかったわけでもないと思う。



純粋に彼らを羨ましいと思っていたんだと思う。

着たいような服をきて、自分をどう魅せたら一番魅力的に見えるかを把握している彼らが羨ましかったんだと思う。



芝居に挫折感をおぼえていた私は事務所をやめ、生きたいように大学生活を過ごそうと決めた。


それからは自分が目指す 可愛い に近付こうと努力した。

「垢抜ける メイク」でGoogle検索したこともあるし、今までディファインしか使用してなかったカラーコンタクトも自分にあったものを探すようになった。可愛いと思ったモデルが出てる雑誌は買い漁ったし、SEVENTEENやnon-no等の、役者を目指していた頃憧れていたモデルたちが出ている雑誌を購読するのはやめた。素材が元々良い人たちとは頑張る方向がまるで違う。

メイクやカラコンで可愛いを作っている人たちの雑誌を購読するようになった。




そして大学2年の春。新歓の期間のこと。今でも覚えてる嬉しい出来事が起きた。

恋心こそ抱いていなかったが、憧れていた先輩が私をみて「可愛い」と言ったのである。

人伝に聞いたのか、たまたま先輩の声が聞こえたのか記憶が定かではないが、確かに、あの先輩が、可愛いと、言ったのだ。私に向かって。新入生の頃、カッコいいと伝えても嬉しそうにもしていなかった、"あの先輩" が、だ。

自分が新入生の頃、新歓などで少し交流はあったがその後の学生生活ではあまり関わりがなく、久しぶりの事だった。

その後挨拶などを交わすようになり、私があのときの"新入生"だと伝え、先輩の記憶の中で人物が一致したのだ。つまりその時まで先輩のなかで、新入生と大学2年の私は同一人物ではなかったのだ。


嬉しかった。

自分の努力が目に見える結果で実ったのだ。

私は垢抜け、芋臭い "新入生" ではなくなったのだ。




その後、自分の変化を目に見えて感じる出来事がたくさん起きる。

クラブにいけばナンパされるのは当たり前だし、いいなと思った店員とも連絡先を交換するのは容易いし、何より入学当初、想いを寄せていた先輩と近しい仲になった。


「垢抜けたよね」


先輩と一緒によく遊んでいた先輩の友達が私に向けてそう言った。それに先輩も同調していた。



こんな、簡単なものなのかと思った。

喜ばしいと思うべきなんだろうが、何故かそのとき私は喪失感をおぼえた。同時に先輩への恋心も手放した。




これは私が、『東京で暮らす今どきの女の子』になるための努力であり、役者を目指しているときもその時なりの努力はしていた。




私は幼少期から音楽が好きだったし、ハモネプでシンクロシンプトンズをみてからはアカペラが大好きになった。高校の頃はわざわざ遠征してまで東京にライブを見にいった。

一緒にライブを観る人なんかいるわけはなく、シックスセンスのライブでよく見かける同年代の子達に声をかけ一緒にみるようになった。


私はライブ後演者に積極的に声をかけるタイプだったと思う。

私は演じ手のパフォーマンスがどれだけ好きか伝えたかった。


何を思ってアカペラーの人たちが私と親しくしてくれるようになったかは分からない。

某イベント代表が言うみたいには思わなかった。私は演者の事を特別だと思った事も有名人だと思ったこともない。プロでもなければ事務所に在籍をしてるわけでもない彼らは大学生に過ぎなかったし、彼らの音楽が好きなだけだった。


アカペラーが仲良くしてくれるようになり、打ち上げ等に呼ばれるようになり、一番初めに仲良くし始めた子達と距離ができた。


仲良いアカペラーが私にこう言った。

「まきはリスナーって言うより、まきだから(笑)」

私はこれが普通に嬉しかったし、アカペラーを崇めることもなかったからこそ、ただの友達になれたのだと思う。


仲良くしていたリスナーの子達はそれから事あるごとに「まっきーは可愛いからいいよね」と言うようになった。


またこれか、と思った。

女の子独特の、この感じ。

自分と同じような子とつるみ、仲間内の均衡を崩す様な子を排除する、この感じ。





以前母の友達の娘が、高校の頃ダイエットしてモデル体型になった。

その子は元々可愛かったし、さらに可愛くなって他校のイケメンと付き合ってた。

「○○は可愛いから良いよね。」と友達に言われた事を帰ってきて母親に愚痴をこぼしてたという。

私は努力して頑張ったからこうなったのに、なにも努力していない人たちに嫌味を言われる筋合いはない、と。



その子の努力に比べたら大袈裟かもしれないが、あの子はあの時こんな気持ちだったんだなぁ、と感じた。


私も言いたかった。

じゃあアンタらは何したの?努力した?私がどんな学生生活送ってきたか知ってる?アンタら自身がアカペラーを崇めて勝手に距離作ってたんじゃないの?そもそもアンタらのゴールは何なの?なにが目標だったの?好かれたかった?仲良くなりたかった?











芸能活動をしている事はやめた高校の人たちだけでなく中学の頃の友達の耳にも届いていた。


わたしが退学したあとの高校では、私をテレビの中で見かけたことにより色んな噂が飛び交っていたみたいだが、一番おもしろかったのは『整形したらしいよ』である。

同じクラスのマウントトップにいた女の子が言っていたらしい。


他にも中学の頃の友達と、大学の夏休みに地元でBBQをしたときの事。

幼稚園から中学まで一緒で、母親同士が仲が良い男友達が、可愛くなったね、と女子同士で会話している中に入り言ってきた。「おまえ絶対鼻整形しただろ(笑)」


私は人から鼻を褒められることが多い。強いていえば父親似の鼻だが、私の父も私ほど鼻は高くない。



本当に面白かった。

可愛いと評価される前までは誰も私の鼻についてなんか着目したことが無かったであろうに。



人はこんなに他人が成功することを疎む生き物なんだと実感した。





男のなかにはどんなに「性格悪そう」など悪く言っていても、その子が可愛ければ、自分に良くしてくれたり、好意をみせたりすれば手のひらを返すような奴もいるし、

女はなにより足の引っ張り合いが好きな生き物である。



私の喉から手が出るほど欲しがっていた他人からの評価はこんなものだったのだ。

取るに足らないものだったのだ。


私は胸を張って生きるには自分が自分のことを好きにならなければならないのだ。

自己愛ではなく、自己受容できるようにならなければならないのだ。


他人からの評価は、あくまでそれの副産物でいいのだ。




好きなものを着て、自分が好きだと思える自分を表現し、好きなように生きていく。


真っ黒なネイルをして、「それ男ウケ悪いよ」と言われても「お前のためにやってるんじゃないから」と一蹴りできるようなカッコいい女性になりたい。



整形だってそうだ。

皆が羨むエマ・ワトソンだって整形してる。


そもそも何で整形は批判されるんだろう。

そのまま陰険なブスでいたままだって君たちは批判するくせに。批判された苦い思い出から整形した子だっているだろうに。


ダイエットと整形は同じだ。

その人なりの努力だ。


親からもらった身体に傷を付ける、なんて言い方で批評するオバサン、オジサンも多々いるが、じゃあその人は自分に自信が持てないまま俯いて生きていた方が幸せなのだろうか。


ダイエットの成功者ばかり賞賛されるが、整形はどうなんだろう。

失敗やオペの恐怖をのりこえて生まれ変わったのは努力とは違うのだろうか。その1歩、踏み出した勇気は批判されていいのだろうか。

整形にかかる費用を貯めたのは、その人の可愛くなりたいと思う気持ちの強さじゃないんだろうか。ダイエットを成功させた人と何が違うっていうのだろうか。





自分は何も努力することなく、評論家きどりで批判ばっかりする奴はそのままそこでくすぶっていてくれ。


努力すらしてないやつに他人を羨む権利すらない。可愛いから良いよね、なんて言われる筋合いない。私は芋ブスだったよ、アンタらより努力したよ。



私は喜んで整形した?って言われたい。

私は他人のために可愛くなるわけじゃないから。